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千葉敦子さんのこと

2017年6月20日

千葉敦子さんが亡くなられて、来月でちょうど30年になります。

千葉さんは1970年代半ばから、フリーランスの経済ジャーナリストとして
「ウォール・ストリート・ジャーナル」のアジア版や「フォーブス」等、
海外メディアに英文の署名記事を寄稿するなど、世界的に活躍された方でした。

41歳で乳がんを発症、二度の再発を経て、
闘病中に移住したニューヨークで87年7月に亡くなられています。
46歳でした。

発症から亡くなるまでの7年足らずの間に残された闘病記は5冊。

『乳ガンなんかに敗けられない』『わたしの乳房再建』
『ニューヨークでがんと生きる』『よく死ぬことは、よく生きることだ』
『「死への準備」日記』


30年も前の闘病記を読む意味があるの?と思う方がいらっしゃるかもしれません。
確かに治療法などは参考にはならないかもしれませんが、
病の受け止め方や病との向き合い方、治療を受けながらも仕事を続けることの大切さなど、
千葉さんの闘病記には、今に通じる、学ぶべきことがたくさんあります。

がんの告知が一般的ではなかった当時の日本で、
病名も検査データも全て伝えるよう医師に求め、
国内外の最新の情報を集めて積極的に質問し、
これもまた当時としては珍しかったに違いないセカンド・オピニオンを受け・・・。
ジャーナリストという職業柄もあってのこととはいえ、
これだけ主体的に病と向き合うということが、
30年後のいまを生きる私たちにできているかどうか。

自信家でプライドが高く辛辣、という、
おそらくおつきあいするのは結構大変な方だったのではないかと想像するのですが、
それらを補ってあまりある魅力的な方だったのでしょう。
ひとり暮らしであったにもかかわらず、
亡くなる直前まで家で過ごすことを選んだ千葉さんは、
多くの友人をリスト化して様々な援助を依頼し、
また友人達も十分にそれに応えています。
在宅医療、訪問看護・介護がシステムとしてない時代に、
これはお見事です。

コツは各人に役目を割り振り、
「頼まれたこと以外はしないでください」と伝えること。
必要以上の気遣いはお互いの負担となると考えてのことだったようです。

最後の闘病記となった「日記」は、
病状がかなり悪化したのちも病や迫り来る死のことだけで埋められることはなく、
世界情勢や気になるお芝居のこと、友人との何気ない会話などが淡々と書かれています。
そのさりげなさに、かえって胸が熱くなるのは私だけでしょうか。

最後まで世界の動向に注目し、音楽や映画、
友人達との会話を愛したひとりのジャーナリストとして、
まさに“よく生き、よく死ぬ”を全うされたのだと思います。

本は一部入手困難なものもありますが、
図書館や古本屋さんで見かけたら、ぜひ手にとってみてくださいね。

(梅)
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