医情研通信 Column & Blog

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デリケートな問題?!

2018年3月22日

この間、はじめて電車で席を譲られました
車内はそれなりに混雑しており、他にも立っている方が沢山いたのですが、
その人は少し離れた場所に立っていた私にわざわざ声をかけて席を譲ってくださったのです。

特に思い当たる節もないので「???」と思って一度は遠慮したのですが、
なおも勧めてくださったので、なんとなく座らせてもらいました…
が、頭に浮かんだことといえば,なぜだろうということばかり。
「これがああ見えたのかな?」「むしろ,あれがこう見えたのかな…?」なんて
ぐるぐる考えを巡らせていたところ、その人は下車していきました。
その時、自分がちゃんと御礼を言っていなかったことに気付き,
解せない顔つきで,ただただ座ってしまったことを反省した次第です。

思えば混んだ車内では、頭上で新聞を読まれたり、ぐいぐい押されたりと
不快な思いをすることはあっても、あまり親切にされることはありませんので
理由はどうあれ,きちんと感謝の意を示すべきでした。

世間では席を譲らない人が増えたと嘆く声をよく聞きますが
超高齢社会のいま、年齢よりも若く見え、かくしゃくとした年配の方が増えたことで
何を基準に席を譲るかといった線引きは一昔前よりも難しくなっているような気がします。
席を譲られた側は、嬉しさよりもショックを感じられる方が多いとも聞きますし
譲る側にとっても「かえって失礼になるかな」と迷った挙句、タイミングを失う
といったことは自分の経験としても多々あることで…これぞ忖度の難しさですね~。

一方でマタニティマークをつけた妊婦さんが,アピールをしているということで
かえって意地悪をされるといったケースも問題になりました。
もちろん一部の話なのでしょうが、アピールをしたらしたで面白くないということでしょうか。
なかなか難しい問題のようです。
日本特有?の忖度文化は美しく良い面も沢山ありますが、
意外なところで問題を複雑化させているのかもしれません。

私に席を譲ってくれたその人は、そんな小難しいことを思うまでもなく
瞬間的に思い立っての行動だったのでしょう。
あれこれ考えず、自然に行動を起こせるその人を見習いたいものだと思いました。

また譲られる側も経験してみて感じたのは、特に自分に心当たりがない場合は
ついつい理由を探したくなりがちですが、理由を知ったところでどうなるものでもありませんし、
ここは気遣いをしてもらったことに単純に感謝すればいいのではないかということです。

他人の親切には大いに感謝し、次回は自分が他人への配慮を心がける…。
そんな優しい社会になればいいなと思う今日この頃です。

(あ)
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